子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である。
彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。
なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。
彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。
わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。
わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。
あなたは義を愛し、悪を憎む。 このゆえに神、あなたの神は喜びの油を あなたのともがらにまさって、あなたに注がれた。
神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである――
公正を守る人々、常に正義を行う人はさいわいである。
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、
生きている限り、きよく正しく、 みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。
あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。
イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。
わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
御子については、 「神よ、あなたの御座は、世々限りなく続き、 あなたの支配のつえは、公平のつえである。
あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。
子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。
わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。